和の風情Menu
  • 和を楽しむ
  • 能・狂言

能・狂言

日本の伝統文化の1つ「着物」は長い歴史の中で発展を続け、数ある民族衣装の中でも最も美しいものとして
世界に認められています。
そんな「着物」という文化に触れることで、日本の良さを再発見してみましょう。

能・狂言とは

舞台能は詩、劇、舞踊、音楽、美術などさまざまな要素が絡み合い、一体となって観客の感動を呼び起こす「総合芸術」であるといえます。もっとわかりやすく説明すると、和製ミュージックといっても過言ではないでしょう。

そんな日本に古くから伝わる「能・狂言」についてまとめてみました!

歴史

大陸から伝来した「散楽」をベースに、古来より演じられていた民衆の芸能(田楽や曲舞など)を取り入れ、1つの芸能として確立させたのは観阿弥・世阿弥親子です。当時は「猿楽能」と呼ばれ、奈良を中心に広められていましたが、その後京都に進出し、時の将軍・足利義満の目にとまり、その地位を確立しました。

そして、時代の流れに沿って、人々の好みに合うよう作り変えられ、姿を変えていったのです。以後、無類の能好きとされる豊臣秀吉からも庇護を受け、江戸時代には幕府の式楽の地位を不動のものにします。各お城には能舞台が設けられ、祝賀の席などに大きな能の会が催されました。その後、明治維新・第二次世界大戦など幾多の存亡の危機を乗り越え、今に至ります。

「能」と「狂言」の違い

能は歴史や神話などの物語を題材にした幻想的かつ悲劇的な内容であるのに対して、狂言は一般庶民の日常生活を題材にしたような喜劇的な内容となっています。また、台詞にも違いがあり、能は「~にて候」という文語調です。

一方、狂言は室町時代に庶民の間で使われていた会話文がベースとなるため、「~でござる」という口語調になります。さらに、能は音楽や舞踊の要素が強く、内容も象徴的ですが、狂言は台詞と仕草に重点を置いた写実的な内容です。

登場人物も大きく異なり、能では物語の中の登場人物や歴史上の有名な武将などが主役となるのに対して、狂言では名もない普通の庶民や大名が主役となります。このことから、能ではお面を付けて演じられることが多いようです。一方で、狂言は基本的に素顔で演じられています。また、能は1曲が1時間を越し、人数も10人ほどを要しますが、狂言は1曲が約20分で、人数もわずか2~3人ほどです。

能・狂言を楽しむ

能・狂言の楽しみ方は、あくまで個人の自由です。最低限のマナーを守り、楽しいひと時を過ごしましょう!

みどころ 「聴いて」楽しむ 能の台本である「謡(うたい)」は難しく感じるかも知れませんが、それは和歌や源氏物語などの古典を引用しつつ練り上げられたものです。読めば読むほどに味わい深く、ただ聴くだけでも花鳥風月に彩られた美しい情景がイメージできるでしょう。謡が止まると、今度は「囃子(はやし)」に合わせて「舞」が始まります。音楽と動きが一体となる・・・能はまさに和製ミュージカルといえるでしょう。
「見て」楽しむ 一口に「能」といっても、物語の展開を楽しむもの、激しい戦のあるもの、迫力のある鬼が出るもの、しっとりとした女の人が舞うものなど、その内容は多種多様で、それぞれに面白さがあります。また、もう1つの楽しみとして美しい「面」や「装束」を見ることがあげられるでしょう。装束は能の表現をさらに豊かにし、能の魅力が集約されているような面はいくら見ても飽きることのない美しさです。
マナー 能の舞台は開演の知らせもなく始まり、終演する際も幕が下りるわけではなく、余韻のみを残して終わります。その間の舞台上で起こる全てが観能の対象となり、鑑賞者側の自由度も比較的高い舞台といえるでしょう。人によっては静けさも重要な要素となるので、おしゃべりは論外。また、同行者の理解を深めるための解説であっても周囲への気遣いが必要です。服装は自由ですが、被り物(帽子など)は特別な事情がない限り、能観中は外すようにしましょう。